自信に根拠があるのであれば、それはただの見栄。
自信に理由を求めるな。
例えば、
「歌が上手いこと」を拠り所にしていたら。
いつかキミは自分より歌が上手い人に出会って、自信を消失させるだろう。
そのとき、自分に拠り所がないと卑屈になる。
そこで相手を素直にすごいと認められるのは、自分の中にある素晴らしさに気づいているから。
そして素直に人から学ぶことができるから、さらに素敵な歌声を手に入れることができる。
自信に拠り所を探すと、やがて同じ理由でいつ自信を無くすことだろう。
長所を自分の自信に繋げない。
長所とは、余裕があるときに発揮する。
良いところに注目することは良いことだ。だけれども、それが自分の弱さから目を反らすためなら、あまりおすすめしない。
余裕がなくなると、良さというものは自覚しにくくなるから。
そして残るのは今まで受け入れていなかった弱さ。
弱さと向きあえないときに挫折する。
自信を得るために、資格を取るな。努力するな。
「あれがあったら自分を認められる」
そして資格を取ったとしても、満たされることはない。
これは自信ではない。自分に対するただの見栄だ。張りぼてだ。
張りぼてを強化することが、成長ではない。
それは強がりにしかならない。
強がりは、本当の強さではない。
人に語れるなにかを欲するのは、自信がないからだ。
短所を愛せるか
余裕がなくても発揮できるもの。
疲れていても、時間がなくても、どんなときでも発揮してしまうもの。
気が強いところがある。ずるいところがある。なんでも楽したがる。
人のダメなところがすぐに目につく。意思がない。
本当は遅刻だってしたいくらいいい加減。無計画。
八方美人。傲慢。依存体質。人を否定できる自分には価値がある。
それが良くないことだと思いつつ、そうしてしまう自分に対して嫌気がさし、
相手に対する罪悪感が芽生える。本当は尊敬したいのに。
「自分は悪い人間だ」と思えばいいわけではない。
自分の短所を悪いことだと思っていることに原因がある。
あなたの中にある闇を否定すれば、闇があなたを支配するだろう。
闇を好きになれたら、闇を上手に支配することができる。
自分に対して色をつけなくていい。良い人間でもあり、悪い人間でもある。
人間はそもそも邪悪なんだから。
善100%の人間もいないし、悪100%の人間も存在しない。
本当に必要なのは、根拠なき自信。
今まで生きてこれたこと。君の人生には多くの障害があったし、順調と言えることのほうが少なかったかもしれない。それでも今まで生きてこれた。
キミは今までなんとかなってきたのだ。
「私だからなんとかなる」それでいい。
根拠がないからこそ、胸を張ればいい。