先生は占い師

リアル人生にも裏技を

手持無沙汰になったとき、誰かの悩みを聞こうとする行為をしそうになっている自分を発見した。

手持無沙汰になったとき、誰かの悩みを聞こうとする行為をしそうになっている自分を発見した。

 

そういやあいつ闇ツイートしてたな、とか

あの子が最近大変らしい、みたいな話を思い出して

ふとメッセージを送ろうとする自分を発見した。

 

この行動はどこから出てくるのだろうか。

その人に幸せになってほしいのか、

いや、自分が満たされたいだけではないのか。

葛藤した。

 

おそらくどちらもだろう。そうであってほしい。できれば前者を含んでいてほしい。

 

―求めていない者にまで手を差し出すのはいかがなものか。

善意の押し付けほど、迷惑なものはないか。

可哀想だと一方的に思っているこちらの高慢さよ。

僕だったら、決して可哀想な人間だと思われたくない。

まぁ、存在自体痛いと思われている可能性は否めないけれど・・・。

そんなことを思い、踏みとどまった。

 

他人の問題を自分の問題にすり替えてしまうなんて、

ああ、私はよほどの不幸好きなのか、はたまた英雄症候群なのではないかと自分を疑い、そうした行為をはねのけ、私は敢えてベッドに横たわるのだ。

 

ああ、お湯に浸かりたい。

 

 

 

露天風呂が好きだ。

 

 

今日は土曜日だった。

リビングの片隅にある途中のジグソーパズル。その周辺は誤ってピースを捨てないようにと、掃除機をかけてない。

やりたいときにしかやらないから、ちっとも進まない。

僕はなぜ1000ピースを購入したのだろうか。

何事もハードルを上げがちだった。

物事を舐めてかかる習性がある。そして痛い目を見るのだ。 

 

やることはある。考えないといけないことはたくさんある。

教え子たちのこと

占いの教え子たちのこと、

弟子、

お世話になっている方たちのこと

占い事業のこと、

教育×音楽事業(Rusic)のこと、

それらに付随するさまざまな構想と、数字と、仲間のモチベージョンと・・・

 

それらを考えて考えて、考えが輪廻して悩みに転生して、

そして一世に一度襲来する「ところでお前さんはどうありたい」

ゴール設定せずには、何も決まらないことを告げてくる。

 

僕はもっと優しい世界を作りたいよ。

優しいってなんだろうか。

 
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そもそも僕が優しいのかは不安定だ。

むしろ周りの方たちが圧倒的に優しく、僕に合わせてくださるのがよく分かる。

その心からの配慮を僕は遠慮なく十分に受け取る。申し訳なさそうにするそぶりをせずに、100%で喜ぶ。

そんな自分を良しとしてしまって

なおかつ、どんな相手でも無条件で受け入れる姿勢を貫くから、(ありがたいことに)人が集まってくる。なんてタチが悪い。悪質だ。ヒモの才能があるんじゃないか。

 

情の機能は強く働いている方だと思う。

水と地に天体が集まりすぎて知覚過敏だ。

繊細さを刃の鋭さに変換して、まぁよく切れるわ。 

 

僕のやさしさは、

僕の寛容さは、人への究極的無関心と人間への諦めを内包しているのかもしれない。

一言でいえば、どうでも良いのだ。

人の至らないところとか、当たり前のことができないとか、そういうのどうでもいい。

そのほうが面白いし。ネタになるし。そもそも上手くいかないのが普通なんだから。

 

正確に言えば、他人のことをくよくよ考えてしまう自分が嫌だったから、全部放棄しちゃった。

更に正確に言えば、他人が自分のことをどう思っているのかくよくよ考えてしまう自分がすごくダサかったので、やめちゃった。

 

器がでかくすることよりも、そもそも器を捨てることを選択した。そんな気がする。

例えるなら、鞘を捨てて、そのまま帯刀しているようなもの。

傷つくのが怖いし、敏感であることも怖いから、そういうことをしてしまう。

それで内心びくびくしちゃったりね。

 

そういう人っているよね。グラサンかけるやつはみんなそう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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この世界が怖いから、優しい世界を作りたいと願う。

いま、僕の世界はとても優しい世界です。

だからその優しいをもっと広げていきたいと思う。

 

そう、人間の遺伝子には、利他の精神の情報があり、

役目が終わった細胞は自ら死んでいくのだ。

 

例えば

古い皮膚の皮膚がちゃんと死んでくれるから、いつまでも美しく保ってくれるわけです。

オタマジャクシのしっぽは、カエルになっていく過程で吸収される。

そんな利他の機能があるわけだ。 

そういった利他の情報が書き込まれた遺伝子を持つ細胞の集合である人間という個体も、

他の個体の利益を考えて動ける機能が備わっているということだ。

 

 

きっと、やさしい世界を作ったあかつきには、僕はいなくなるんだと思う。

オタマジャクシのしっぽのように。

 

吸収されて、どこかの家のヒモになっている可能性があるわけです。

 

って駄目か。

 

 

最近強く思うのは、感動が人を優しくさせるんだってこと。

そして感動はマイナスからプラスへの転換で起こりやすいってこと。

 

腹が減ったから、うまいものがうまい。

飽きているものも、うまい。

お腹が満たされていたら、美味いものも感動できない。

喉が渇くから、無味の水に感動する。

現実がツライから、ディズニーが天国になる。

不安だから、大丈夫に力を感じる。

賢者タイムのあなたにセクシーは通用しない。

 

 

例えば、これから流行るレストランは、

体験型レストランだと思う。

スポーツやアトラクションやカラオケなど、

一定時間、過ごさないとオーダー出来ない仕組みである。

お腹を空かせるところから始まるレストラン。

そして旨い旨い普通の定食を食らう。

そんなところがあっても面白い。

 

感動はマイナスを創造するところから始まるんだと思う。

辛いことは、報われることで、感動に変わる。

辛いことを避けていたら、感動も少ないのかもしれない。

当たり前に金メダルとっても感動しない。

 

感動を受け取るには、最初に自分で負荷を選び、解放させるまで持っていくこと。

厳しさを選べる人間は、どこかで報われた経験があるのだろう。

 

自転車に乗れた人間は少なくとも一度はその報われた経験があるだろう。

報われた人は厳しい一面を持つかもしれないけれど、やっぱり優しい。