大人はその背中に絶望をちらつかせ、子供に夢を聞きたがる。
子供は、大人の将来の夢を聞くことに対してよく分からないと思っている。
そんな大人たちをうっとおしいと思っている。
じゃあお前はどうだったんだと。夢があったんかいと。
その夢をかなえたんかいと。叶えてないならその夢はどんな意味を成したんだい。
僕も夢を聞いている時期があった。たいていは「ない」と返ってくる。
そりゃそうだなぁ。
夢がないのは、大人に憧れがないからだろう。
なりたい大人がいないからだろう。
そう思ってから夢を聞くのをやめた。
責任の所在は彼らにあらず。
やりたいことは今やればいいじゃん。
夢(将来)にやりたいことをお預けして、今やりたくないことやるのか。
達成するまでの道のりはとてもワクワクするもんなんだけど、
それ自体まで夢にしてしまう人は、やはり夢を叶えられない人だろう。
僕もやりたいことがいくつかあって、それを叶えるための行動は、やりたいことになってる。
自発性を持たない人はいない。
起きたくて起きて、ごはん食べたいからご飯を食べる。歩きたいから歩き、人と話したいから話す。休みたいから、休む。引きこもりたいから引きこもり、寝たいから寝る。
自分たちの目的に合わない行動をしているからといって、
自発性がないと決めつけるのはどうだろうね。
不登校の子は、自発性はある。彼らは最強に自発性がある。
彼らは「行かない」を選択している点で、自発性がある。
自分で決めていくことができている。
彼らを精神科に、カウンセリングに、というのはズレているのだ。
そりゃ、嫌な事をさせ続けられたら、誰だって病むだろう。
やりたくないことはしない。それでいいんだよ
って、なぜ誰も教えてくれなかった。
それは大人も我慢して生きてるからだ。
私たちは我慢して生きているのに、我慢できないこの子はおかしいって論理か。
我慢して頑張るが美徳みたいな考えが古い。
その考え方は誰に都合がいいか考えるべきだ。
あなたが頑張ることで都合がよくなるのは誰だろうか。
成長という言葉使い、あなたに無理やり火をつけさせたのは誰だろうか。