依存がなければ独立心は宿らない
人間の心というのは、いくら大人になっても、赤ん坊、子供の頃から変わらないですね。
赤ん坊は、喜怒哀楽が率直に出やすく、大人は理性によって感情を上手に隠すことはある。しかし大人も喜怒哀楽をしっかりと感じています。
僕は、今でもすぐに顔に出てしまいますが・・・。
占い師や、カウンセラー、教師など、
人を導くお仕事をしている方からよく聞く声に
「依存させてしまわないか心配」ということがあります。
強い影響を与えてしまった結果、クライアントが導く人に頼り続けてしまう、
自分自身で人生を切り拓くことができなくなってしまうのではないか、
と声です。
自立という言葉の中身は「他に頼らずに一人で生きること」。
である定義するなら、
そのような人はそもそも存在しません。
立派な成績や結果を残している人ほど、「お陰様」を意識しています。
人格がある人ほど、多くの支えを感じながら生きています。
正確に言えば、自立心でしょうね。
自立している人間は存在しませんが、
自立心(自立していこうという姿勢)を持っている人間はいます。
赤ん坊は、遠目にいる母親の姿を見て、安心して公園の中で自由に遊びます。
しかし、母親が居なくなった途端に泣き出します。
この心理構造は、大人になっても同じなのです。
多くの人の支えや、頼れる人がいるというのが、母親の代わりとなって、
この世界を冒険的に生きることができます。これが自立心です。
依存に支えられた自立心です。
子供の頃に自信がなかった方は、家庭環境にやや難がある場合が多く、
大人で自信のない方は、心から信頼できる仲間がいない場合が多いです。
大人になってからだと、親が“公園の母親”になることは難しいです。
思春期を通じて親からの精神的な自立を図っているため、抵抗があるのです。
ですから、大人の強力な自立心というのは
血を超えた繋がりを持てるかどうかにかかっていると私は考えています。
私が少し変わった経歴を持っているのは、
血を超えた繋がりを持っているから、
チャレンジしようと思い、
仮に失敗しても、そんな自分も受け入れてもらえるだろうと思えてしまうのでしょう。
だからといって、いつも連絡を取るわけではありませんし、助言を求めることもしません。
血が繋がらなくとも家族くらいの友人と思えるかどうか。
これが自立心に必要なのではないでしょうか。
依存と自立。これは相反する精神ではなく、
入れ子のようになっています。
そのように考えると、
依存が悪いのではなく、依存のさせ方に問題があるように思うのです。