誰のプラスにもならない怒り方、感謝される怒り方
怒ると叱るは違うと言いますが、
それを受ける側はどっちにしても「怒られている」という印象でしょう。
怒るときは
自分の枠組みからはみ出ているから怒るのではなく
その人が守りたいと思っている世界を守らせるため
その人の夢や目的を実現、達成させるため
その人が成りたい、在り方になるために
に怒ったり叱ったりする。
お前が守りたかったのはそれか!?
その夢を簡単に手放す自分でいいのか!?
(↑ちなみに夢を手放したほうが良いときもあります)
自分の在り方と照らし合わせて今の自分でいいのか!?
自分のために言ってくれている、というのが分かったとき
人はあなたに感謝をするでしょう。
逆に、
自分の都合で怒ったりするものであれば
反感を買うことでしょう。
または自己都合の幸せを押し付けての
「お前のために言ってるんだ」
も人を動かすほどの大きな効果がないのです。
こちら側は意識することがあります。
たとえ、相手から「怒られてる」と感じられている可能性があるとしても
導く立場の人は「今、自分は諭している」という意識で接します。
いつか、相手から感謝されるかもしれません(それは相手次第)
自分の感情を爆発させるときは
パフォーマンスとして自分が怒っているという選択を取っているだけ
と自覚して
あくまで、そのパフォーマンスが
まわりまわってその者にとってプラスになると、
そこまで考えて怒る。
この世界の道理から、言い聞かせる
と念頭に置くとよいです。
そんなことを言っていても、
時には感情に流されることもあります。
人間ですから
僕も感情に支配されてしまうことがあります。
たとえ感情に支配されて、怒ってしまっても、
そんな自分を責めなくていい
怒りという感情がちゃんとある
人間味がある証拠です。
失敗もどんどん楽しんでいきましょう。