先生は占星術師

真ん中よりも端っこ

「厳しさ」を「過酷さ」と捉えているのであれば。

先日の累進義塾の授業で

厳しさとは何かという講義をした。

 

厳しさを辞書で調べると

1 厳格で少しのゆるみも許さないさま。厳重である。「―・いしつけを受ける」「―・く取り締まる」「練習が―・い」

2 いいかげんな対処が許されないさま。困難が多くて、大変なさま。「生活が―・い」「前途は―・い」

3 自然現象などの程度が著しいさま。

など、他にもいろんな意味があるみたい。

https://dictionary.goo.ne.jp/jn/53559/meaning/m0u/

https://kotobank.jp/word/%E5%8E%B3%E3%81%97%E3%81%84-475410

 

厳そうな人ってどんな人がいるか生徒に具体的に挙げてもらったところ

イチロー選手とか、ウサイン・ボルト選手とかが出てきた。

親、先生など、怖い人に対しても厳しいという言葉を使う人、いるかな。

 

f:id:guil_inside:20170530004601j:plain

 

厳しい人といえばスポーツ選手、アスリートが挙がりやすいのは、厳しい練習の中で結果を出し続けている、そんなイメージがあるからかな。

 

しかし

厳しさを過酷さと捉えているうちは成長できないだろう。

なぜなら、人間は嫌なことは続けられないからだ。

どこかで辞めたくなる。諦めたくなる。

 

イチロー選手が、自分のやっていることを過酷なことと捉えていたら

疾うに引退しているだろう。

 

僕が思うに 

厳しさとは、当たり前の基準の高さである。

定期テストで言えば

平均を超えれば喜ぶ人

70点で喜ぶ人もいるが

98点で大いに悔しがる人もいる。

 

これは当たり前のレベルの違いである。

高いから良い、低いから悪いというわけではない。

自分の在りたい姿を基準に考えればいい。

現状で考えない。今の自分で考えない。

 

当たり前レベルが高くなればなるほど、傍から見ればストイックにはなるだろう。

しかし当人からすれば、当たり前というのは無意識の基準。

別に苦ではない。ただそうするだけ。

だから自動的に達成してしまう、豊かになってしまうような感覚がある。

 

基準をどこに求めるかで、人生は決まる。

どういう行動を当たり前として捉えているかで

未来は決まる。

 

当たり前の基準を上げることは、人生の豊かさのレベルを決めることになる。

自由の度合いを決めることにもなる。

 

当たり前を上げることは、負荷がかかる。

負荷のかけ方を間違えるとドロップアウトする。

一気に基準を上げても大丈夫な者と

段差の低い階段のように少しずつ基準を上げる者もいる。

 

先生や師と呼ばれる人はそれを見極めて、生徒にあった厳しさを用意する。

 

先生と呼べるような人生のお手本がいないのであれば

本を読み、心の師(お手本)を見つけて、その人の当たり前の基準を自分にチューニングすること。

 

なお、自分の当たり前を人に押し付けて、罰することはしないこと。

未来を創るために当たり前のレベルを高めるだけであって

人を罰して自分が気持ちよくなるために当たり前のレベルを高めるわけではない。

 

自由になりたいのであれば、当たり前の基準を上げておこう。

 

★★

★★★

★★★★★★★

ネット授業、累進義塾に入塾したい方はTwitterのリプライやLINE@、フェイスブックなどからDMでお願いします。(残り枠3名)

★★★★★★★★★