先生は占星術師

真ん中よりも端っこ

賢さとは何か。分かりやすい授業では賢くならないから、塾に踊らされないように。先生選びは気を付けて。という話。

昔の塾業界、僕らや親世代の若い頃は塾と言えば集団授業がほとんどだったと思うのですが、今は個別指導と言って、先生一人に対して生徒が三人と言った、個別指導型の授業の流れがきています。それと同時にマンツーマンの家庭教師の需要も高まってきているらしいんですね。ソースは検索したのですがいいものなく。ちゃんと探せば出てくるとは思うんですが、本日話したいのはそこではないので割愛しちゃいますね。某企業のプロ講師対象のセミナーで話されていた内容はそんな感じでした。

そのうち塾のそれぞれの形態のメリットデメリットを上げた記事をかけたらなと思います。

この時期に成績が出て、このままじゃやばいから夏期講習を取りなさいと塾から言われるわけですよ。

でもちょっと待ってください。その夏期講習、本当に意味があるのでしょうか。

この記事は

賢さを定義し、塾の売り出している「分かりやすさ」が果たして賢さに寄与するのかを考察した記事です。

 

あなたの求めているものは塾では手に入らないかもしれません。

 

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「賢さとは何か」をお話します。

できるだけ分かりやすくしたいところですが、きっと分かりにくいです。

そしてやや辛口です。

 

まず「賢さ」の定義を「情報の分解と再構築」の力とします。

情報を分解するにはやる気や根気がいりますし、再構築には仮説が先立たないと成り立たないので、ひらめきや想像力も要ることでしょう。そうすると、考えなくてはならない項目が溢れていきますが、抽象化しすぎない絶妙な位置が「情報の分解と再構築」かなと考えています。再構築は「再編集」でも「再統合」でもいいです。改めてそこの部分の定義は確かめたほうがいいですね。

 

情報の分解と再構築を繰り返すことによって理解に達します。あるいは理解を通過します。この過程の深さが賢さです。

完全暗記をしなくても理解すれば問題は解けると生徒たちに伝えていますが、

理解すれば暗記に頼らず、忘れても思い出すことができるので、得点がブレません。

 

面白くて分かりやすい授業は人気がありますが、断言して、それ「だけ」では賢くなりません。

勉強の導入としてはいいです。いいんですよ。勉強のキッカケとしては。

ただ、賢さを鍛えようと思ったら、分かりやすさというのは、賢さを鍛える機会を奪っています。

 

賢さは分解と再構築の往復の中で磨かれていくものです。ですから分解と再構築を講師が100%受け持っては、その子のためになりません。脳が自立しません。

また、解ける問題は自力でやってもらって、分からない問題を講師が教えるというのも違います。

分からない問題には、生徒がどこの定義、法則を疎かにしているのかを見抜き、それを伝え直すだけです。生徒が分からない問題は、教えたいのをグっと堪えて、うまく導くことが必要です。分からない問題も、必ず生徒に自分で解かせます。その経験が入試本番で活きますから。

第一、丁寧に教えたところで、聞いてるようで聞いてません。笑

 

分かりやすさで売っている塾を見ると違和感がもう。 「何もわかってねぇじゃん」と心の中のクリティカルが叫びます。まぁ消費者に響くからしょうがないのでしょう...

 

情報の分解と再構築を講師に任せてはならない。

分解と再構築、これは自分でやらないと、いつまでも自分ではできるようにはなりません。筋トレと一緒です。懸命にトレーニングを励んでいる人を眺めているだけでは筋肉はつきません(イメトレによる効果がないとは言いませんが)。

 

賢くなろうとしない人は賢くならず。 知識を揃えても賢くならず。

分解と再構築の試行錯誤を連続させる姿勢、それが賢さに繋がります。

 

分かりやすい授業が良いとは限らない。

そのようなことを理解している講師はプロでもあまりいません。

どうしたら納得してもらえるかに終始すると、肝心の「できる」が置き去りになる。

もちろん、僕も分かってない時期はありました。

今もいかに最短距離で賢くできるか、模索中の身です。

 

本日の内容を例えますと

赤ちゃんは、生まれてからしばらくは固形物は食べられませんよね。

固形物が食べられないから、慣らすために離乳食やおかゆ等を与えます。

しかし、いつまでもその食事では、自立できないですし、おいしいものを味わうことできません。

いつまでも情報を嚙み砕く(分解)力を身につかなければ、味(理解)も分からないですし、料理(再構築)もできません。

あくまで勉強の分かりやすさは、導入です。しかしそれはたいして楽しくないです。

だから家に帰っても勉強しません。おいしくないから。

 

勉強の面白さは、分かりやすさではなく、未開拓地を自分で切り開いて真理の境地にたどり着くまでの冒険にあります。

それを大部分の講師が意図せずに奪ってしまっている現状です。

 

分かりやすさは求めるべきです。しかしそれは原理原則系の、「定義」「土台」を理解させるという点においてです。(1+1=2とか、分配法則とか)

理解というのは、情報の分解と再構築を繰り返した途中に達成できる境地です。果ては真理でしょうかね。これは僕にもまだ分かりません。

 

まとめます。

理解には分解と再構築が不可欠で、それを誰かに任せている限り、賢くなりません。

 

分解と再構築の中に、自分の想像力が加わり、時代を作る発明や新しい思想が生まれます。

分解と再構築がない情報はただの知識であり、応用が利きません。

知識オタク、ただのコレクターです。教養「的」なテレビを見て賢くなるんだったら、この国のもっとマシになっているはずです。

 

分かりやすい授業というのは言葉の定義や原理原則に基づいた法則を納得させるためであり、問題を分かりやすく解説することは、その人の賢さを奪うことになるので、僕としては最終手段なわけです。(だから答えを教えるときはすごくいらいらしています笑)

答えを導くために欠けている原則を僕は教えるだけで、解くのは生徒。講師が解いて披露してはなりません。それは最終手段です。そのたびにその子の未来が狭まっているかもしれません。

 

できるだけ人を頼らずに情報を自分で咀嚼して学べるように。それが自立です。

 

これからの時代の価値は、どれだけ深く物事を考えているか、という情報自体にお金が生まれます。賢いだけで金になる可能性が高いということです。知っていることが価値になるのではなく、知識を製造できる人が今の時代では必要とされているようです。

様々な解釈ブログや個人のツイッターが盛り上がってプチカリスマが台頭している、そのような流れはもう来てますね。

 

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