考えるとはなんだろうか。賢さとはなんだろうか。
考えるとは複雑化と、単純化の繰り返しだ。
帰納と演繹の繰り返しだ。
考えすぎると悩むという。
悩んでしまうのは、一つのテーマを複雑にしすぎて、
整理整頓ができなくなったからだろう。
シンプルにしていく力は、抽象化である。
共通点を探し、法則を見出す力だ。
抽象化する力は大切だ。
これらを抽象化すると「小型犬」になるだろうか。
これを「哺乳類」でくくると、大きすぎるし、
「犬」だと物足りない。もっと小さなくくりができるはず。
自分の曖昧な意識の状態により適した言葉をぶつけるというのは、とても疲れる。
言語との不断の格闘である。
より適切な言葉を探す旅は楽しいけれど、果てしなさに絶望もする。
ようやく近しい言葉を見つけ出しても、数日経てば、
自分の想いとその言葉の持つ定義とのズレに気づいて、また言葉を探していく。
自分で言葉を作ってしまうこともある。
説得力がないというのは、使用している抽象言語が空っぽだからだ。
具体性が伴わない抽象的な言葉。言い換えれば借りてきた言葉で、エネルギーが少ない。その物事について多くを語れない。
〇〇ってどういうこと?と聞いてみると、すっかり答えられない。
カレーが好きと言ったけど、カレーの何が好きなの?と聞いたら
よくわからないと返ってきた。
伝えたい事がうまく伝わらないのは、具体性がないからだ。
栄養価が少ない。中に小さな入れ子が入っていない入れ子をイメージすると分かりやすい。
よく考えるから賢いということではない。
複雑化するばかりで、整理整頓しなければ散らかしただけだ。
身の詰まったシンプルを作り出せる。これが賢さなのだろう。