悩みに構ってるから、いつまでも悩み続けるんだ。ではどうすればいいか書いていく。
高い視点で生きると、日常の問題(人間関係、恋愛、お金など)は些末になり、悩みとして認識しなくなる。どうでもよくなる。そんなことで悩んでるん?という感想になる。
— 占星術師ギル@サマソニ大阪参戦 (@Guil_inside) 2016年10月12日
ただ、高次元も低次元も人間は行き来している。実際僕も次元の上下が激しい。常に、高い視点を忘れずに生きたいものだ。
悩みを悩みとして認識するから、この世界はうまくいかないと思ってしまう。
「気にしない」ではなく、「気にならない」次元まで持っていけたら最高だ。
そのためには、常に世の中のこととか、好きな子のこと、好きなことを考えて行動していくことだ。そうすると自分自分にならなくて済む。
しかしモノが溢れている時代だ。そうした生き方を目指していても、好きな子とうまくいくわけでもなし、好きなものにはとっくに囲まれている。
そう考えると、いつもとしていることと特に変わらず
結局、ただ生きるということに収束してしまう。
「ただ生きる」を目的にするには、僕らは恵まれすぎている。残念ながら、そうした目的は、悩み多き人にとっても慰めと諦めにしかならない。
与えられた幸せ像を実際に手にしていくことを生きる目的にするのもなかなか辛い。
なぜなら上には上がいるからだ。比較された幸せに充足感はない。
やはり次元がひくらか低いもので、悩みも結局今持っているものとそう変わらないだろう。
僕が提案する次元を上げる生き方の目的は「自分の世界観を現実に落とし込む」だ。
自分の世界観を現実に落とし込む作業というのはとても面白いもので、そうした活動と仕事を絡めると、仕事が好きになる。その仕事をすればするほど、生きやすい世の中ができあがっていくのだから。
ところで、悩み多き人を見ると、疑問が沸いてくる。
そもそも嫌ならその環境から飛び出せばいいものなのに、そこに居続ける理由とはなんだろうか、ということ。
そこに居なければ生きられない、とでも思っているのだろうか。
自分がそんなに重要な位置づけなのだろうか。
はたまた、せっかく手に入れた空間と座標を手放したくないということだろうか。
とても不自由な発想だ。
自分が与えられたものに満足できずに、駄々をこねているような印象も受けてしまう。
だったら自分でこしらえるべきだとも思う。
悩みを解決しなければならないと思うからよけいに辛くなる。
しかし、そんな悩みも無限の宇宙の中にポツンといる一つの個が抱いているもの。
たかが知れてんだ。
悩みに構っている暇があったら好きなことをして、周りを巻き込んで、自分の世界観を少しずつでも現実にしていこう。
そうすればきっと悩みなんて忘れているさ。